1.大間のリアルモリリー 投稿日:2011/03/28(月) 03:08:51.00
忍者出身と言われるなど正確な出自不詳ながら、
信長に重用され織田家四天王とまで言われた滝川一益の生涯や逸話、
血縁者や末裔など滝川一族について語りましょう。

滝川一益 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E4%B8%80%E7%9B%8A

■武家家伝_滝川氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/takiga_k.html

2.白老のそうでもないよ 投稿日:2011/03/28(月) 03:09:49.35
田舎住まいよりも、茶器を愛した数寄者。
3.仁ノのイリオモテヤマネココ 投稿日:2011/03/29(火) 02:45:49.77
北伊勢後略の先兵になったのは地縁でもあったんでしょうか?
4.いわきのロシアモナー 投稿日:2011/03/30(水) 14:34:26.73
難しいことは分からんが、「いちます」「かずます」のどっちなんだ?
5.伊香保の内藤ホライゾン 投稿日:2011/03/30(水) 14:59:22.38
木造氏流以外の子孫は殆ど歴史に出てこないな
6.松山の初代モナー 投稿日:2011/03/30(水) 17:37:55.65
秀吉に「おめーの席ねぇから」

と言われたときの一益の心境や如何に

10.越前市のぞぬ 投稿日:2011/03/31(木) 02:20:40.89
>>6
清洲会議やってる時は、まだ関東から逃げてくる途中だったね。
7.東神奈川のルカリオ 投稿日:2011/03/30(水) 20:44:22.59
本能寺が起こった時点でこの人も終了だったよな。
8.小田原の中ねここ 投稿日:2011/03/30(水) 23:24:55.30
    , – ‘ ゙    `` ‐ 、_,,,,,
   ,r’          /=ミ
  /           彡ll’,”´
. /             彡lll
 !– .、    ,、、、、,,,   彡lノ 栄えある織田軍に
 l,,,,,__ /   ___     ‘r”゙ヽ
. |`゙” ./   `’゙”'”    .〉,l | 北条ごときに負ける弱将は無用
 |.   ,’           //
. ’,. ,’           , r’ 滝川一益を不名誉除隊と処す
.  ゙, ゙’ー ‐`      l  |
   ゙、”゙ ,,、二”‐    ノ  l、
””””7’ヽ  ”’    /   /`〉`゙T”””””
  l  ` 、,,,,、- ‘ “    / /.|  |
.  |  |  .l i       / ./ |  |
  |  |  | l      / ./ .|  |
. |  |   | l     / /  |  |
 |  |   | ‘,   / /  l  .l
9.洲本のジサクジエン 投稿日:2011/03/31(木) 00:03:17.86
鉄砲の扱いに長けてたらしいけどそれなら伊賀じゃなくて根来が実は出身地じゃないのかね
13.沖縄のモナアザラシ 投稿日:2011/03/31(木) 03:19:25.39
>>9
鉄砲云々の話は眉唾。

うちの怪しげな家系図を見る限りでは紀州か大和あたりの土豪だった模様。
大和あたりに残っている史料を見ると菅領細川氏が衰えて三好・松永が台頭した時期に畿内の土豪クラスの紛争もピークになった。
それで負けた側が落ち延びる先は伊勢・尾張方面が多かったみたいだ。

当時、伊勢湾~三河湾が太平洋側の商業ルートでかなり繁栄していたらしく織田と北畠の争いもこのルートをどちらが押さえるかという争い。

滝川氏も畿内から先に尾張に移っていた同族の池田氏のツテをたよりに尾張に移った模様。
滝川氏が畿内にいた時期に鉄砲が土豪クラスで所持されていた可能性は限りなくゼロに近い。
尾張移住後に鉄砲に携わるような機会は特にはなかったと思われる。

忍者だった的な話はマンガの域を出ないし、出自に関しては田舎のヤンチャな地主ぐらいのイメージで間違いないと思われる。

ちなみに滝川氏は子沢山の一族だったようで伊勢やら美濃あたりの土豪や足軽組頭クラスの家に養子を出しまくっている。

そのうちの数家は滝川姓を名乗っていて江戸時代に元の姓に戻した近藤家なんかは旗本になっていたりする。

11.玉川のハツスレ 投稿日:2011/03/31(木) 02:48:05.97
イチマスさーん
12.みなかみのキガー 投稿日:2011/03/31(木) 03:01:28.34
この人って織田家の家臣では序列的に何番目の人?
佐久間と林と信長親族除いて。
14.大津のギコエル 投稿日:2011/03/31(木) 03:48:46.89
>>12
与えられた役目と与力から推定すると秀吉が長浜城主になるまでは柴田、丹羽、滝川で三番目。

その後は柴田、明智、羽柴、滝川、丹羽、荒木村重。
ただ前者三人と後者三人の間にはかなり差がある。
前者三人は方面軍司令官並みの役割を与えられてたのに対し、後者三人はこの三人を支援する師団の師団長のような扱い。

かなり有力な与力を与えられてはいたもののあちこち転戦ばかりしてたから出費ばかりが嵩んで、領地や手当ては少なかったみたいだ。
だからこそ茶碗のエピソードも生まれたと思われる。

15.六本木のショボーン 投稿日:2011/03/31(木) 04:01:18.89
>>14
なんで滝川は羽柴や明智に抜かれたんだろう?
軍政面よりも小規模な遊撃隊というか機動部隊みたいな軍事能力に特化してたのかな?
でも関東管領になったことで本能寺が無ければ東国平定戦で一気に柴田、羽柴、明智に並ぶ可能性があったよね?
16.別海のウマー 投稿日:2011/03/31(木) 05:04:39.00
>>14
>なんで滝川は羽柴や明智に抜かれたんだろう?
軍政面よりも小規模な遊撃隊というか機動部隊みたいな軍事能力に特化してたのかな?

軍政っていうか行政面の手腕と各自の役割の差だと思う。

行政の手腕で言うと光秀、秀吉は畿内平定を進めている時期に最重要の京都行政を任されるほど信用されていた上、朝廷や他家との外交まで預かっている。
柴田は戦いでの実績はずば抜けていた上に譜代の筆頭と言う立場。
譜代も頑張ればちゃんと重用しますというメッセージを示すのと家中のバランスを取る意味でも柴田には重要な仕事を任せる必要があった。

この三人は織田家飛躍の象徴。
本能寺の変がなければ天下布武実現まで多分トップスリーのまま。

逆に言うとこの三人にいかに良い仕事をさせるかが重要になってくる。
なので三人が行き詰まりそうな局面になると信長は援軍を送る。
その時の援軍司令官は万に上る与力を預かり大量の軍事物資の調達と運搬まで管理する。
この役目を果たせる人もそうそういない訳で滝川や丹羽みたいな戦歴も行政的な手腕もある人物は長期作戦から外していつでも動けるようにしておく必要があった。

>でも関東管領になったことで本能寺が無ければ東国平定戦で一気に柴田、羽柴、明智に並ぶ可能性があったよね?

確かに「関東菅領」とされた事で占領した土地の支配権をある程度優先的に与えられたのは間違いないと思う。
ただ天下布武実現のための戦略全体から見ると最優先は中国地方で次が北陸、四国。
関東は北条の拡張を食い止める防御的な意味合いが強くて攻略に移るのはまだ先だと考えていたと思う。

だからこそ丹波の明智をわざわざ秀吉の援軍に送った。
援軍であれば本来なら丹羽や池田恒興あたりのベテランに指揮を取らせるところを。
信長はそれだけ中国地方の攻略を急いでいたし重要だと考えていたんだと思われる。

なので関東菅領になったとは言え与えられた役割の重要さはやはり秀吉、光秀、柴田とは差があったと考えるのが妥当かなと思う。

中国地方攻略が済んだ後であれば関東方面でも攻勢を強め三人に並ぶ可能性はあったかも知れないね。

エライ長文になったw

22.城崎のギコ猫 投稿日:2011/04/01(金) 11:43:16.32
たしか、戦後の研究者で方面軍を提唱した人が、それぞれの担当地域と役割を説明するために
滝川軍を「関東管領軍」と名づけたのが発端じゃなかったかなあ?
少なくとも、室町幕府の職制としての関東管領に一益が就任した形跡はないよ

>>16
ほぼ同意なんだが、おそらく、織田家の序列は佐久間と柴田がトップツー
その次に明智そして秀吉が続き、さらにその下にあなたのおっしゃるように
補助役として丹羽が滝川らがいたものと思われる

17.島根県のウマー 投稿日:2011/03/31(木) 05:49:36.44
関東管領に任じられた証拠ないしね。
越後を柴田指揮下に北信濃の森や上野の滝川で挟み討ちで滅亡させたら
柴田が厩橋城に入城してきて
滝川や川尻は柴田の指揮下に編入されて家康などと先鋒させられ北条滅亡させると思うよ。
このあと家康に伊豆を加増させるどころか滅亡させると思うけど。
この時点で信長はまた領地没収の大リストラをやらかすよ。
佐久間信盛みたいに高野山へ行くか奥羽で討ち死に覚悟で功績をあげるか選べみたいな。
18.笠間のベビしぃ 投稿日:2011/03/31(木) 08:35:12.05
働いてんのに領地没収なんて眉唾だと何度言わせればうんたら
19.別海ののまネコ 投稿日:2011/03/31(木) 11:46:36.15
水野信元や久松信俊や塙直政や佐久間信盛は信長のために
むちゃくちゃ働いてたのに自刃や領地没収されたじゃん。

20.諏訪のネーノ 投稿日:2011/03/31(木) 13:57:20.13
関東管領といっても室町幕府とは無関係なんだけど、
「一益、関東管領」の初出はどこなんだろう?
21.玉野のムーミン 投稿日:2011/03/31(木) 14:26:21.53
小瀬甫安?
23.春日井のカサーリ 投稿日:2011/04/02(土) 06:47:44.59
なんでそんなに明智の評価が高いの?
24.瑞穂のモラオ 投稿日:2011/04/02(土) 10:25:21.84
>>23
信長が盲目だったから
27.安城のカサーリ 投稿日:2011/04/03(日) 03:15:45.67
>>23
将軍や将軍側近の細川氏らとの縁を繋いだのと、美濃近江周辺の国人と様々な形で繋がっていたのを買われたんだと思う。

相撲の番付みたいなものはないからね。
その時々で前後はあるし任された仕事が長引いてしまえば次の仕事は与えられにくい。

そういう意味では城を与えられた時期や切り取った土地の処分権、どの程度の与力を与えられたかみたいな部分からの印象で序列をイメージするところはあると思う。

本能寺の変直前では秀吉の中国攻略作戦が一気に前進しかかっていて、そこに光秀と信長本人が増援で行く形になっていたから序列は秀吉、光秀と考えるのが妥当かな。
そのまま中国攻略が秀吉を中心に行われ毛利を下していれば秀吉が勝家、光秀、一益を置き去るほど加増されたと思われる。
その後粛清に合う可能性も劇的に高まっただろうけど…

丹羽、池田に関しては若い頃から信長の側近で、畿内の制圧に目処がついた頃には信長の子息が出陣する際に彼らを現場で支えるような役割が与えられている。
これは後継者の育成とその後継者を支える老臣の関係作りを始める意味合いもあったと思われる。

一益が光秀、秀吉に遅れを取ったのは長島での苦戦が大きかっただろうね。
それでも厳しい戦線を生き残り関東の攻略を任される機会を与えられたんだから、相当な信頼を受けていたのは間違いない。

28.大垣のぎゃしゃ 投稿日:2011/04/03(日) 04:07:55.85
>>27
柴田と秀吉は?
柴田も謙信死後の上杉に対して大攻勢を成功させてるじゃん?

あと光秀って丹波、丹後と来て秀吉と並行して山陰攻略担当になるのかと思ったら
畿内の管理統制みたいな仕事させられてたけどあれはどれくらい重要なの?

25.芝公園のモナージ 投稿日:2011/04/02(土) 13:09:24.76
ごめん。羽柴より明智の評価が高かったようには思えないって意味です。
折檻状の順番を重視したら池田がもっと上でないとおかしくなってしまうし。
26.石狩の八頭身モナー 投稿日:2011/04/02(土) 22:59:06.70
伊勢攻略の立役者なわけだから、
何もなければもっと早く近江の羽柴、丹波の明智のように他方面への司令になった可能性はある
ただ長島一揆という厄介な存在がいたために出世が遅れたのは否めないな
34.馬路のショボーン 投稿日:2011/04/14(木) 14:34:40.66
>>26
瀧川一益の遊撃戦力・兵站以外のお仕事

・伊勢方面の織田連枝衆と愉快な配下たち(不愉快な先代当主とその御一門)の監督(監視),補助
・長島一帯の一向宗勢力の監視(戦力動向以上に物流・情報の監視-経済戦の一面)
・伊勢隣接国の検地代官などの民政補助
・佐久間とやってた東国取次の仕事(佐久間が近畿転出後は独占、これが武田殲滅戦、その後の転封の遠因)
・甲賀衆との人脈を生かした情報・物流の管理(佐治水軍、九鬼水軍などの指揮権保持)

羽柴と明智比べて劣っているからではなく、単に重要すぎて周辺が落ち着くまで動かせなかっただけが本当の理由

45.尾瀬の中ねここ 投稿日:2011/07/14(木) 04:40:03.34
>>34
追加
・尾張の防衛(佐久間と共同で徳川家の援護及び警戒)
・美濃勢(信忠、河尻)の援護
29.敦賀の鹿 投稿日:2011/04/03(日) 15:22:36.67
信長的には秀吉はいくら加増しても結局自分の息子のものになるわけだからな
30.湯前のロシアモナー 投稿日:2011/04/04(月) 23:43:51.51
子孫が真田家と縁があったのは、本能寺前に交流があったから?
31.調布のルカリオ 投稿日:2011/04/05(火) 00:24:12.38
滝川クリステルが一益の子孫ってマジ?
32.西神ニュータウンのヲタ 投稿日:2011/04/05(火) 00:33:29.45
うそ
33.県庁の関東裸会 投稿日:2011/04/06(水) 12:59:25.84
北海道滝川市立江部乙小学校いじめ事件
滝川ルネッサンス
35.十三のモナージ 投稿日:2011/06/02(木) 07:23:34.42
秀吉とモメなかったら、滝川一族も関ヶ原まで大名だったかな?
37.善通寺の生徒 投稿日:2011/06/02(木) 20:17:12.55
>>35
いちおう、次男の一時は関ヶ原の時点で1.4万石の大名。

というのは置いといて、賤ヶ岳の時点では桑名城主で15万石程度か。
積極的に秀吉に付いた場合、50万石クラスの大名にせざるを得ない
だろうから、丹羽や蒲生同様に一益の死後に大減封喰らって、
せいぜい10万石程度になるんじゃじゃない?

中立の場合は15万石を安堵かせいぜい数万石の減封だろうから、
こっちのほうが結果的にはよさそうな気がする。

15万石程度だと、たとえば池田は恒興時代は13万石だったし、
小牧・長久手の戦いでの討死ってことで、石高的にも時期的にも
死因的にも減封することができなかった、何事も無く輝政に
家督相続できたんで。

36.内子のしぃ子さん 投稿日:2011/06/02(木) 20:12:32.66
清洲会議の頃既に、秀吉-織田信雄-丹羽長秀-池田勝入ラインが構築されている以上、
秀吉に接近しようが滝川はその他扱いしか受けなかっただろう。
滝川の存在は、伊勢を支配する信雄や美濃以東に野心を持つ池田勝入(と森長可)の利害と
真正面からぶつかるし。
38.横手のハム者 投稿日:2011/06/18(土) 11:43:22.92
八巻正治。氏の学歴は以下の通りです。

【学習歴の記録】
 美幌幼稚園 卒園  美幌小学校 卒業  美幌中学校 卒業   美幌高校 卒業 
※高校は途中転入で、しかも不登校でした!

 順天堂大学  体育学部  健康教育学専攻   卒 業 ※ガンガン勉強しました!

 青山学院大学  第Ⅱ文学部  教育学科  卒 業 ※幼稚園での教育実習も行いました!

 東洋大学  第Ⅱ文学部  教育学科  卒 業 ※養護学校の教員免許を取得しました!

 立教大学・大学院  文学研究科:博士課程(前期)   教育学専攻  修 了 ※良き学師たちに巡り合えました!

 カリフォルニア神学大学院日本校    博士課程  キリスト教神学  修 了 ※神様の深き愛の素晴らしさを学びました!

 米ニューポート大学大学院  博士課程  教育学専攻  修 了 ※論文執筆に燃えました!—————–

資       格
1973年03月19日   中学校教諭1級(千葉県教委 昭47中1普 第501号),高等学校教諭2級(昭47高2普 第427号) 教員免許状(保健体育)取得
1973年04月26日  衛生管理者免許状(第61号) 取得
1978年03月31日 養護学校教諭1級(東京都教育委員会 昭53養学1普 第132号) 教員免許状取得
1994年02月26日 『米セント・チャールズ大学(カリフォルニア神学大学院日本校:提携校)』より 『博士(宗教学)(Ph.D.)』 の学位を取得

39.大仙のマッツァリーネ小幡 投稿日:2011/06/20(月) 15:51:57.41
BS-TBS 20日 22時

ナンバー2 滝川一益

44.岩出のワケワカラン 投稿日:2011/07/14(木) 04:25:49.80
>>39
面白そうな番組だね。再放送ないかな。
東西の大役比較という感じ?

一益は伊勢で気ままに過ごしてたから、
秀吉と違い、身内の政争に疎く遅れをとったんだろうね。

46.小山のラーメンギコ&モナー 投稿日:2011/07/14(木) 13:46:11.45
40.足寄の姉者 投稿日:2011/06/21(火) 02:18:31.17
滝川一益がいつナンバー2になったんだよ…
42.洞爺湖のガヤー 投稿日:2011/06/27(月) 10:27:22.03
>>40
少なくとも北伊勢に所領を得た1567年時点では秀吉よりは上だろうな
41.石井のシナー 投稿日:2011/06/21(火) 03:50:08.56
信長のナンバー2って何人いんだよ
43.名護の八頭身ギコ 投稿日:2011/07/14(木) 04:05:41.41
滝川さんパズル状態。(☆は同一人物確定、★は推測)

☆滝川一益=滝川左近将監
★滝川彦右衛門=滝川伊予守(清洲同盟の使者)
★滝川儀太夫=滝川益重=前田利益の父?
★滝川益氏=佐治新助=前田利益の父?
?滝川法忠
?滝川彦九郎

その他、怪しい縁者?
☆滝川彦次郎=滝川忠征(一益の稚児?)
☆滝孫平次=中村一氏(甲賀滝家出身?)
☆中村一忠(滝川一忠の嫡男の就職先)
柘植保重(滝川雄利の姉の夫、或いは雄利の実父)
福地宗隆(伊賀の土豪、柘植保重の父?)

ttp://www.geocities.jp/kawabemasatake/nobunaga.html

47.出雲のズサギコ 投稿日:2011/07/15(金) 09:45:08.60
滝川法忠=滝川彦次郎=滝川忠征だね。

滝川一益=滝川左近将監=滝川伊予守(清洲同盟の使者)
も問題なさそう。

井上力・もう一つの史話
http://www5f.biglobe.ne.jp/~inou/index.html
高山右近の出自  

しかし、左近将監の官はそのままで兼官の形をとり、朝廷を離れた所では
依然として「左近将監」を通していた、という推測は無理であろうか。』

48.市原のアヒャ 投稿日:2011/07/18(月) 19:01:33.10
>>47
>滝川一益=滝川左近将監=滝川伊予守(清洲同盟の使者)
世代的に無理だろ
51.上新庄の妹者 投稿日:2011/08/05(金) 20:12:19.12
>>47
>しかし、左近将監の官はそのままで兼官の形をとり、朝廷を離れた所では
依然として「左近将監」を通していた、という推測は無理であろうか。
無理無理
49.中間のしぃとギコの交換日記 投稿日:2011/07/19(火) 18:27:29.37
どういう意味?
50.真庭のハム者 投稿日:2011/07/28(木) 23:55:43.44
利益の父親が益氏という話は、
どの資料からのものかなぁ?
52.いののイナバウアー 投稿日:2011/08/06(土) 23:13:24.77
武田豊信に宛てた一益への帰属を求める
『倉賀野淡路守書状写(家吉判)』(天正10年4月6日)
では、一益のことを伊予の守と呼んでいる。

やはり同一人物っぽい。

54.大田のズサギコ 投稿日:2011/08/07(日) 08:02:48.36
>>52情報感謝
戦国人名辞典の「倉賀野家吉」を見たら
群馬県史か新編高崎市史資料編にある書状みたいだけど
よければ内容を教えていただけませんか?
ふだん左近将監と名乗っている相手を
伊予守と呼ぶような例は珍しいよね
57.益田のウマー 投稿日:2011/10/16(日) 01:48:41.77
>>54
近くの図書館で見つけたぞ。
新編高崎市史通史編2(中世) の補遺にあった。

急度令啓上候、仍今度自上方御乱入、因茲駿・甲・信・上属御手候、
西上州箕輪へ滝川伊予守殿移被申候、彼仁に被仰付候、
御様子者日の本迄被仰付候、(以下略)

61.鶴舞公園のモナージ 投稿日:2011/11/12(土) 06:03:44.17
>>57
すみません、遅くなりましたが、ありがとうございます。
厩橋城ではなく箕輪城なんですね
64.大運橋のモナー 投稿日:2011/11/13(日) 03:00:59.53
>>61
最初は箕輪城に入場してるから、史実通りだね。
>>62
一益は尾張出身ぽいけど、
本家が甲賀五十三家の可能性があるとかないとかw
71.六甲山のモナージ 投稿日:2011/11/19(土) 21:37:04.08
>>57
天正十年四月五日の長沼山城守宛文書(栃木県庁採集文書)では、
滝川左近と署名してるよ
78.門別本町ののまネコ 投稿日:2011/11/20(日) 23:35:33.04
>>71
松平左近衛権少将伊予守定昭っていうのが居るから、
滝川左近将監兼伊予守一益だったのかな?
>>69
滝川と河尻は、軍を分裂させるより、協力した方が良いと考えたのかも。
80.出水のジョルジュ長岡 投稿日:2011/11/21(月) 16:57:08.67
>>78
後世の人が松平左近定昭から伊予守を連想して、
滝川伊予守を作り出したのはありそうな話だな。
83.平泉のゴージャスモララー 投稿日:2011/11/21(月) 21:15:00.60
>>80
当時も伊予守って呼ばれてたみたいだよ。>>57
87.甲賀のぞぬ 投稿日:2011/11/22(火) 23:09:30.01
>>57の文書が後世に作られた可能性はないのかな?
90.富士河口湖のモナージ 投稿日:2011/11/23(水) 08:30:24.96
>>87
天正十年の4月5日も6月も「左近」なのに
4月6日だけ「伊予守」っておかしいよね
92.大曲のハム者 投稿日:2011/11/23(水) 10:01:45.06
http://www5f.biglobe.ne.jp/~inou/newpage25.htm
一益の官名については、文書の署名および宛名、それに〈公記〉にもすべて「左近(尉・将
監)」となっているが、〈勢州四家記〉〈三河物語〉〈木造記〉など後世の書には、「伊予守」で
登場することがある。
これを単純な誤記とするのは早計で〈宇野〉や〈言継〉といった一次史料にも「滝川伊予守」
は登場するのである。このうち〈言継〉にあるのは、天正四年六月八日、山科言継の信長訪問
のとき奏者を務め、同月二十四日、興福寺別当職をめぐる争いに関し、丹羽長秀とともに上洛
している人物で、これが一益であることは、ほとんど疑いない。
また、同三年十二月二十八日、勅願寺である伊勢金剛寺を欠所処分にした「滝川伊予守」
の違乱を、勅命によって停止したという事実もある(京都御所東山御文庫記録)。これも一益
である可能性が非常に高いであろう。
案ずるに、一益は、天正三年七月三日の信長家臣の叙目に際して、「伊予守」に任官した
のではなかろうか。しかし、左近将監の官はそのままで兼官の形をとり、朝廷を離れた所では
依然として「左近将監」を通していた、という推測は無理であろうか。』〈辞典〉
93.堺のモナージ 投稿日:2011/11/23(水) 10:25:05.09
>>92
『織田信長家臣団辞典』に
「ほとんど疑いない」「可能性が非常に高いであろう」
と書いてあるからと言っても、それは証明にならない。
例えば柴田勝家も代理を出したことがあるよ
53.大船渡のシーザー西脇 投稿日:2011/08/07(日) 04:59:27.23
江南史学はまた補強を始めたのか。
55.留萌のジサクジエン 投稿日:2011/08/08(月) 13:28:36.15
結局たっきーって忍者じゃないだろ?
58.松島の雪苺娘 投稿日:2011/11/04(金) 20:41:03.43
>>55
服部半蔵が忍者なら、一益も忍者でよいと思う。
56.島田のインドモナー 投稿日:2011/08/08(月) 16:46:59.52
この時代の忍者の定義が不明。
59.江田島のマルタスニムは瀬川 投稿日:2011/11/06(日) 07:24:36.43
諜報活動・破壊工作に主に従事していた=忍者でいいんじゃないの?
大概は臨時雇いで、大名の要請で略奪やら放火やら汚れ仕事やってた連中。
夜盗に毛が生えたレベルでしょ

半蔵は忍者じゃないし、伊賀甲賀出身ってだけで忍者扱いするのはどうかと思う
滝川さんについては論外。

60.海陽のゴージャスモララー 投稿日:2011/11/06(日) 09:16:09.68
>>59
中村一氏や百地丹波、佐治新助はどうだろう?
忍者と夜盗の区別は、地域性でしか分けられないのでは。
伊賀や甲賀の戦術が特徴的であり、夜盗レベルでは無かっただろうし。
あと一益の調略能力はかなり異常だと思う。
北畠、荒木、関、尾張前田と凄い崩れ方。
62.東彼杵のぞぬ 投稿日:2011/11/12(土) 11:16:07.28
伊賀甲賀の人間をみんな忍者というのは、外人が日本人をみんなサムライニンジャゲイシャというのと一緒
63.奈良県の生徒 投稿日:2011/11/12(土) 14:11:32.45
忍者=スパイ
65.有田の斉藤またんき 投稿日:2011/11/18(金) 20:09:50.10
柴田が謙信の死と御館の乱のおかげで加賀を攻略できて首がつながり
滝川も武田攻略開始のあたって信長から
「俺が出陣するまで軽挙するな。砦普請に力を入れろ。
若い信忠をキチンと制御しろ、失敗したら2度と俺の前に参上を許さんから覚悟しとけよ!」と言われているのだった。
そして森を先陣に信忠が軽挙進撃を続けて、老人滝川は動揺していただろう。
結果的に武田征伐は成功したから良かったが
失敗してたら滝川も佐久間と同じように追放されていた。
68.紀の川の流石兄弟 投稿日:2011/11/18(金) 22:20:24.92
>>65
河尻も同じ様な事を言われてたの?
69.熊野のニダー 投稿日:2011/11/19(土) 07:05:28.65
>>65
武田がしょぼくて助かったな滝川
66.江田島のワケワカラン 投稿日:2011/11/18(金) 20:24:34.92
信忠が親父の陰に隠れてた名将で助かったな
67.相生のモナージ 投稿日:2011/11/18(金) 21:43:44.76
信忠は盲進しただけのバカだな。
勝頼が高遠城を見捨てて
諏訪から甲斐に帰る馬鹿なことをして自爆しただけ。
74.清水のジサクジエン 投稿日:2011/11/20(日) 19:01:26.59
>>67が正解。
信長は滝川・河尻に慎重策を命令している。
なのに信忠がどんどこ攻めた。武田勢が想像以上に崩壊してたので助かったけど
信忠が名将というより、末期武田の崩壊が激し過ぎた
86.大府ののまネコ 投稿日:2011/11/22(火) 22:04:25.77
>>74
武田勝頼の主戦力を構成してた上州勢は何やってたんだ?
と思ったら浅間山噴火で大変だったんだね。
89.児島の雪苺娘 投稿日:2011/11/23(水) 04:04:29.82
>>86
>>浅間山噴火
まじ?
70.鴨川のシナー 投稿日:2011/11/19(土) 09:15:32.64
木曽の地は落ち無いと言う前提条件の盲信があって
織田軍の侵攻を遅滞させる物理的な備えが無さ過ぎて、
木曽を通過したら速攻で南信濃が制圧され
高遠城までやすやすと
織田軍が進撃できた時点で終わってたからなあ。
本願寺降伏以降はいつ大規模進行が来てもおかしく無かったのに。
72.戸田橋のジョルジュ長岡 投稿日:2011/11/19(土) 22:02:36.40
滝川一益は北伊勢と上野の国主格、ならびに臨時関東管領代行に任命されたのに晩年は越前五千石
73.神戸の生徒 投稿日:2011/11/20(日) 09:20:33.67
そうそうたる前半生だったのに晩年は御伽衆、なんて人は山ほどいるけどね
75.湊町のモナアザラシ 投稿日:2011/11/20(日) 19:59:22.81
すでに家康の攻撃すら
武田には防衛する力が無かったからねぇ。
76.美濃加茂のモラオ 投稿日:2011/11/20(日) 20:01:19.57
信忠にとっては武田は弱すぎたんだな
77.名古屋城のニダー 投稿日:2011/11/20(日) 21:01:27.63
武田攻め盲進と
同じように本能寺に
盲進撃して討死した挙げ句に
織田家を瞬殺した信忠…
79.幸手のニダー 投稿日:2011/11/21(月) 14:56:03.92
勝頼が高天神城を見捨てて虐殺されたことで、
勝頼の対内外信用度が
地の底に堕ちていたからなあ。
木曽や穴山離反スイッチになった。
81.春日のしぃとギコの交換日記 投稿日:2011/11/21(月) 18:25:29.24
武田は長篠で信玄以来の重臣まとめて失って
内部がごたごたしてたところで高天神城落城だからな
滅亡に至る過程で桶狭間以来の今川と共通点が多い

そんな状況だったら信長本体待たずとも自分たちだけで潰せると
信忠が判断したのもむべなるかな

82.鯖江のトンファー(八頭身) 投稿日:2011/11/21(月) 19:15:36.16
>>81
そこまで天才軍師なヤツなどいない。
85.相模原のメカおにぎり 投稿日:2011/11/22(火) 21:45:27.61
>>81
信長の勝頼評は結構高かったと思った。
それゆえの慎重策の提言だったんじゃないかな。
それを聞いてれば、信忠が勝頼に対抗心を持っても不思議では無いかと。
実際は勝頼はそれほど大局を見れる人では無かった訳だが。
84.由布の(*゚0゚;;) 投稿日:2011/11/21(月) 22:08:23.20
伊予守 従五位下相当
左近大夫将監 五位相当
88.南相馬のモナー 投稿日:2011/11/22(火) 23:34:20.45
どうしてそう思うん?
91.首里城公園のぞぬ 投稿日:2011/11/23(水) 09:48:23.33
くぐってみた。
気象庁
http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/306_Asamayama/306_history.html
1108(天仁元)年9月5日 大噴火
1281(弘安4)年7月3日 噴火?
1527(大永7)年5月 噴火
1528(享禄元)年 噴火
1532(享禄4)年1月14日 噴火
1534(天文元)年 噴火
1582(天正10)年2月16日 噴火
1590(天正18)年 噴火
1591(天正19)年 噴火
1595(文禄4)年 噴火?
1596(慶長元)年5、8月 噴火
5月1~5日 噴火、5日 噴石のため死者多数、8月19日 噴火
1597(慶長2)年4月 噴火
1598(慶長3)年 噴火
1599~1600(慶長4)年 噴火
1605(慶長10)年 噴火
1609(慶長14)年 噴火
1644(正保元)年2月 噴火
1645(正保2)年2、5月 噴火
1647(正保4)年2、3月 噴火
94.島根県のラーメンギコ&モナー 投稿日:2011/11/23(水) 10:25:25.40
兼官って出来るの?
左近将監が自官で、伊予守が任官した奴かと思ってた。
97.湊町のリアルモリリー 投稿日:2011/11/23(水) 13:02:15.70
>>94
けっこういるみたい。

藤原良房 左近衛少将 兼 加賀守
平時望 蔵人頭 兼 伊予守
松平定昭 左近衛少将 兼 伊予守

95.豊田のルカリオ 投稿日:2011/11/23(水) 11:22:07.40
木曾に武田が負けたんじゃなくて、
火山噴火で武田軍が木曾攻め止めて撤退したんじゃないのか?
北条の動きが悪いのも噴火のせいでは?
天変地異は為政者の徳が無いと中世には思われ
天皇も天変地異を不徳のせいだと自分を攻めてる記述あるし。
武田から離反増えたのもうなづける。
96.菖蒲のネーノ 投稿日:2011/11/23(水) 12:18:50.58
ようは武田がびびったってことだろ
98.秩父の流石家 投稿日:2011/11/23(水) 13:16:52.86
伊予守と左少将なら釣り合うけど、左近将監では低すぎる
99.勝浦のぞぬ 投稿日:2011/11/23(水) 15:15:03.20
>>98
同じくらいじゃない?>>84
100.高松空港のクマー 投稿日:2011/11/23(水) 15:30:27.22
左近将監の自官が正式任官されるのと一緒に伊予守に任官する、と解釈する意味がわからない
101.名寄のマヒィア 投稿日:2011/11/23(水) 15:52:27.98
両方、正式任官の記録は無いんだよね。
102.士別のデスよ。 投稿日:2011/11/26(土) 15:21:07.68
谷口克広も正式任官したという記録は見つけていない
103.豊富のヒッキー 投稿日:2011/11/26(土) 16:21:24.92
任官後も藤吉朗署名で書状出し続けてた秀吉と似たようなものだったのかね
104.八幡平市のマッツァリーネ小幡 投稿日:2011/11/26(土) 18:32:13.25
左近将監は元々自官であり、伊予守との兼官で正式任官されたとしても
あえて伊予守よりも下位の左近将監を名乗り続ける理由は?
105.七尾のハツスレ 投稿日:2011/11/26(土) 19:07:14.17
だから秀吉と同じだろ
106.下呂のロックモナー 投稿日:2011/11/26(土) 19:09:58.12
「藤吉郎」は字だから官途の「左近」とは違うよ
107.黒石の流石兄弟 投稿日:2011/11/26(土) 19:12:42.86
は?
108.成増のモナージ 投稿日:2011/11/26(土) 19:18:36.41
筑前守に任官したら、藤吉郎では無くなる、というものでも無いんじゃない?
例えば九郎義経は任官後も「九郎判官」って呼ばれているし。
110.愛南のリアルモリリー 投稿日:2011/11/26(土) 20:19:54.64
>>108
言いたいこととはちょっとずれてると思うけど
もともと詐称してたものを詐称し続けてただけの話だろ
109.高槻のマルタスニムは瀬川 投稿日:2011/11/26(土) 19:18:53.64
江戸初期の池田光政(新太郎少将)や内藤忠興(四位帯刀)のように
武士としていくらかでも内実があるものを名乗りたかったのでは
111.本町のレモナ(プロトタイプ) 投稿日:2011/11/27(日) 01:40:17.59
1575(天正3)年頃の任官

松井友閑:宮内卿(正四位下)
柴田勝家:修理亮(従五位下)
梁田広正:右近衛将監(正六位上)
滝川一益:左近衛将監(正六位上)、伊予守
佐久間信盛:右衛門少尉(正七位上)

明智光秀:日向守
原田直政:備中守
村井貞勝:長門守
羽柴秀吉:筑前守

武井爾伝:二位法印?
丹羽長秀:辞退?

なんか官位と織田家中の地位が一致してなくね?

112.徳島のモナー 投稿日:2011/11/27(日) 12:19:23.70
○○守はそこを攻めさせようっていう意図を表してはいるが、おそらく上下についてはあまり意識してない
113.安来のデフラグさん 投稿日:2011/11/27(日) 17:30:50.12
官位で序列をつけるようになったのは江戸時代に入ってからだから
信長は単なる箔付けくらいにしか考えてなかったのかも
114.富田林の霧島奈緒美 投稿日:2011/11/27(日) 17:49:01.77
判官といえば、佐々木道誉

官位 左衛門少尉、検非違使、佐渡守

確かに官位の序列を意識してる感じじゃないね。
むしろ武官を意識している感じ。

116.南部ののまネコ 投稿日:2011/11/28(月) 08:28:54.69
>>114
佐渡守は父祖以来の官職であり、衛門尉と検非違使は兼帯が基本だから普通だよ
117.浦幌のハム者 投稿日:2011/11/30(水) 19:17:11.65
>>114
結局、57の史料が正しければ、
左近将監と伊予守との兼官になんの不都合も無いってことかな。
115.西大路五条のキガー 投稿日:2011/11/27(日) 18:49:26.29
受領名も位が高すぎると現場から離れる印象があって
武士らしくないと敬遠されてたからな
118.県庁のムーミン 投稿日:2011/11/30(水) 19:46:20.37
左近将監と伊予守のどちらも正式任官の傍証が残っていないから悩んでいるんでしょ
119.千住のメカおにぎり 投稿日:2011/11/30(水) 19:55:59.98
>>118
言継卿記は、傍証くらいにはなるんじゃないの?
120.熱田神宮のマヒィア 投稿日:2011/11/30(水) 20:16:39.28
柴田、佐久間も正式任官の傍証無いんだろ
121.都城のロックモナー 投稿日:2011/11/30(水) 21:34:04.94
佐久間、柴田、滝川の3人の任官は他の武将の任官事例から推測しただけでしょ
122.高島町のヲタ 投稿日:2011/11/30(水) 21:47:23.77
>>121
3人以外も、信長公記か当時の日記で任官を確認してるだけだし。
むしろ当時の信長政権下で自官か正式任官かというのは、大した問題じゃない気がするけど。
123.東山五条ののまネコ 投稿日:2011/12/01(木) 02:09:36.89
兵部卿 兼 大宰大弐 兼 侍従如元 大内義隆
右大臣 兼 右近衛大将 織田信長
右近衛権少将 兼 三河守 徳川家康
左近衛権少将 兼 筑前守 前田利家etc

兼官なんてこのあたりの時代は山ほどいる

124.東温市のギコエル 投稿日:2011/12/01(木) 06:14:31.67
兼官事例が多いからといっても、滝川一益が正式任官した証明にはならないからね。
公家の日記に正式任官が書かれているならともかく、
(村井貞勝らは日記に加えて信長公記でも傍証されている)
「滝川伊予守」と書いてあっても、それは自官の可能性もあるし、
そもそも日記に出てくる「滝川伊予守」が一益のこととも限らないのでは?
125.佐世保のマッツァリーネ小幡 投稿日:2011/12/01(木) 10:19:20.72
重臣格の仕事をする滝川さんは一益以外居るのか?というところだろう
つか滝川伊予守が一益である可能性を否定したいのなら
滝川伊予守は実は一益ではなく誰々だったという史料や
同日に別の場所に居たという史料でも提示すべきじゃないか
126.彦根のモナージ 投稿日:2011/12/01(木) 22:56:58.07
滝川儀太夫かもしれない
127.相模湖の霧島奈緒美 投稿日:2011/12/02(金) 01:32:16.13
一益以外の一族を伊予守と誤伝されたってことか。
128.鰍沢のモリリー 投稿日:2011/12/08(木) 04:34:39.96
一益が動けない時に一族の誰かが名代として代わりに仕事することはきっとあっただろ
129.因島のしぃ子さん 投稿日:2011/12/20(火) 08:18:28.87
秀長みたいな人かな。
伊予守だから、一益と同等以上なのに影が薄い長生きの人。
130.四国カルストのヌコ猫 投稿日:2011/12/24(土) 12:46:53.60
出世したり金持ちになったら親族増える

その中にはそれなりの人物もいて時には一益の代理するぐらいの人間も現れただろうな

131.関ケ原のシーザー西脇 投稿日:2012/02/16(木) 00:33:45.76
一益の伊勢帰還の様子がかなり明確になってきたね。
依田・真田氏や木曽氏との交渉が興味深い。
132.上田のムーミン 投稿日:2012/02/28(火) 13:11:40.14
マジか!?
133.豊川のラーメンギコ&モナー 投稿日:2012/03/14(水) 00:02:18.96
関東200万石の北条を切り取れって
秀吉、柴田よりずっと難しい注文じゃね?
136.島田のモナージ 投稿日:2012/03/15(木) 22:46:12.71
>>133
そうとはいえ、上州の領主は言うに及ばず、武蔵の上田や深谷上杉なども一益に
出仕したようだし、関東の諸大名も一益を通じて織田政権に従う流れができつつあった
(そもそも北条氏も信長に対しては下手に出ている状況、ただし緊張関係が強まれば
また話は変わってくるだろうけど)
一益はこうした連中を織田政権に服属させていくことが求められていたと思う。
140.御前崎のマッツァリーネ小幡 投稿日:2012/03/24(土) 10:18:12.34
>>136
>武蔵の上田や深谷上杉なども一益に出仕したようだし、

謙信が来ると一斉になびいた時と同じだなw

134.茂原のモナアザラシ 投稿日:2012/03/14(水) 01:00:38.63
その場合は信忠軍と徳川軍との共同作業になるからそれほどでも無い
信長も後詰に出るかもしれないし
135.別府のフサギコ 投稿日:2012/03/15(木) 12:53:54.20
その場合がどの場合を言っているのか分らんが
実際に北条領の侵攻だろう?どう違うんだ?
137.松島のネーノ 投稿日:2012/03/17(土) 07:35:58.70
北条領の侵攻なんて命令されていないだろ
138.つくばのモラオ 投稿日:2012/03/17(土) 14:54:46.49
うむむ
139.銭函のネーノ 投稿日:2012/03/24(土) 08:51:36.73
柴田日向守も勝家と同一人物説があるけど謎の人物
141.上尾のマララー 投稿日:2012/03/24(土) 19:40:43.95
さっき大河の秀吉見てたら滝川さんが秀吉の浮気を信長に報告してたw
142.立山のしぃとギコの交換日記 投稿日:2012/03/24(土) 21:19:51.44
>>141
密告は忍者の義務だからな。
143.まんのうのロシアモナー 投稿日:2012/03/27(火) 11:54:19.58
滝川一益って何気に有能だよな
織田家で有能な人物って、秀吉を別格とすれば
コイツが次点だったと思うな~

柴田勝家→この程度の猛将は探せば幾らでもいる
丹羽長秀→何か目立つ功を上げた事があったか?
明智光秀→知識が豊富で多才ではあるが、鼻にかけてて信長に嫌われてる

144.えりものゴージャスモララー 投稿日:2012/03/27(火) 12:25:30.28
つっこみ前提のレスは要りません
145.鯖江のデスよ。 投稿日:2012/03/27(火) 14:00:58.00
織田家中の実力でいえば
柴田、滝川、明智>佐々>佐久間、丹羽、細川、森(父)、蜂谷、稲葉>坂井、原田、川尻、日根野、金森、前田
>林、平手、秀吉(雑魚)>>>>>>>>蒲生(口だけ番長)
こんなもん
146.行田のシナー 投稿日:2012/04/14(土) 20:19:35.77
滝川一益は信長との血縁が無いね
147.等々力のけぃ 投稿日:2012/04/15(日) 08:38:05.44
信秀時代から仕えているなら柴田より古参では?
148.川口のゲナー 投稿日:2012/04/24(火) 21:01:03.12
高遠歴史博物館で「滝沢左近」とか「龍川」と書かれてた
せめて統一しろw
どんな知識で書いたのかな?
149.岩槻の姉者 投稿日:2012/04/24(火) 23:37:18.66
桜みにいったのか、いいな

元スレ:http://ikura.2ch.sc/test/read.cgi/sengoku/1301249331/